一,草原

二,

 

 

 

 

 

 

 

「あのう、もし、タカチホというところに行きたいのですが、この道でよいのでしょうか。」

 これで何度目だろう。振り返ると、やはり見たことのない衣装の人だった。金色の髪、体を覆いつくした窮屈そうな服などから、外国の人であろうと思われた。

「はい。この道をまっすぐ行かれるとよいでしょう。」

と、ヒメは答えた。

 

 

 

 

 

 

 あたりは家の一軒もない草原で、普段ならこの道を歩く者など、よほど暇のあるものしかいないような、人間界で言えば辺鄙な場所なのだ。遠くに山並みが見えるが、それはこの世界の境界になっている。あれから先は、他の世界だ。この世界に長くいるヒメはそれくらいのことは知っていた。

 これまで、ここは静かな世界だった。涼やかな風の吹きすぎる草原が、ヒメのお気に入りで、−これはヒメの生まれたクニに似ているからでもあり、着ている物も先の世で着ていたものが気に入りで、そのまま着ている−、ゆったりとしてまるで時間が流れているのかいないのか、わからないようなこの世界が何よりも好きなのだった。というのに、最近なぜかあたりが騒がしい。

 

 

 

 

 このあたりで人を見かけるなど、百年に一度も今まではなかったのに、このごろは道を聞かれることが甚だしい。それも、大和の人ではなく外国の人であるのが不思議だった。

 近頃は何か、とてつもないようなことがこれから起きようとしているのではないか、と流石にヒメも胸騒ぎがするのだった。

 草原の中を突っ切って、ヒメは自分の家に戻った。今日も数人の人に出会ったので、少し疲れたような気がする。

 

 

 

 

 草原をしばらく行くと、木々が生えた場所があり、そのうちあたりはうっそうとした木立に囲まれているような空き地にでる。そこにヒメの家はあった。屋根は神社の社のようなつくりで、家自体は木で造られていたが、家の中の床は石で敷き詰められていた。その中に椅子や机などの調度品が置いてある。

 ヒメの生きていた時代には畳みも襖もなかった。どちらかというと、シナ風の椅子や机、寝台がヒメに馴染んでいる。そのころは、先進の文化といったら、海の向こうの支那を指したものだ。

 

 

 しかし、近頃では阿蘭陀のものが一番流行なのだという。最近こちらへ戻ってきたさる大名の姫君から聞いた話だった。何でも東の都といわれる、江戸でもそうなのだという。

 あちらではずいぶん色々なものが変わっているのだろう。長い間こちらで過ごしているヒメはほんの少し興味がわかないまでもなかった。しかし、あえて今向こうへと行くにはかなりの勇気を必要とする。社会情勢や文化だけではない。何か根本に置いて、大きな変革が起きようとしている、そんな気がするのだった。そういう時代は、ヒメのような清らかな思いを大切にしているような者には不向きのような気がする。

 

 

 

 

 そう、かつて大和の国を作られた時代には雄々しい英雄が必要だった。今もそうした者達がこれから出ようとしているに違いない。そして、その妻になる者達も。

 ヒメはどんな時代であろうとも、やはり清らかな思いを大切にしていきたいと考えていた。それが貫けないような時代ではやはり生きていくのは難しい。

 

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 その日、いつものようにヒメは、草原に散歩に出ようとしていた。今日も誰か見知らぬものに会うかもしれないが、それもまたいいかもしれない。

 だが、出ようとしてヒメは誰かがやってくるのに気づいた。道を聞きに来たのではなく、ヒメの家を目指してやってくるのである。誰なのだろうか?

 その行列はやがてヒメの家の前で止まると、

「お久しぶりでございます。」

という、声と共に懐かしい人がヒメの前に現れた。

「これは、まことにお久しゅうございます。」

とヒメは言った。

 

 

 

 

 

 

 その女性はヒメの目には神々しい美しさがあるように感じられた。ヒメのあこがれるようなものを持っているその人は、かつて向こうの世界に一緒に出たことのある位の高い女神の一人である。

「今日はお話したいことがあって、参りました。」

 ともかく、家の中に招じ入れると、その人は話し出した。

「お話があるなら、私が参りましたのに、なぜこのようなむさくるしいところにおいでになられたのですか?」

とヒメは尋ねた。

 

 

 

「近頃、あたりが騒がしくなってきましたでしょう。ヒメは気づいて居られるでしょうか。この大和の国も新しい時代を迎えることになりました。それで、数ならぬ私もしばらくぶりに地上に出るつもりになったのです。」

 やはり、とヒメは一人ごちた。

「ですが、それにしては外国の方ばかりこられるような気がして、何か以前とは違うような、落ち着かない気がしています。」

「今回は、多くの外国の方が大和の国に生まれることになるので、その所為でしょう。初めて大和の国の名を知り、生まれる方も中には居られるのです。」

 

 

 

 

「なぜですか?なぜ、今このようなことが起きているのです?」

「今までは、大和の国の中や、遠くてもシナや天竺くらいの国を知っていればすんだのです。ですが、これからの時代はそれではすまないのです。時代が大きく変わろうとしています。もし、変わらなければ大変なことが起きるでしょう。多くの悲しいことがおきることになるかもしれません。」

「しかし、私のようなか弱い者には、また学問などしたことない者にはよくわかりません。」

 

 

 

 

「そうでしょうね。あなただけではありません。私達竜宮界の者は、いつの時代も力弱くたいしたことはできないと考えられてきました。でも、そうではありません。あなたもそんな力弱き者であっても、成し遂げてきたではありませんか。あなたは大和の国の未来を考え、大和の国の礎としての仕事を成し遂げました。」

 かつて、ヒメは向こうの世界で大和の国の信仰の中心としての宮の地を決める大切な仕事をしたのだ。それはヒメの生涯をかけたものだった。

 

 

 

 

「竜宮界のものには、剣をふるうようなことはできません。しかし、剣をふるうことだけが、必要なのではありません。大きなことが起きようとしているときは、色々なことが必要とされるのです。ヒメがこのところ何度も道を聞かれることがあったことと思います。それは、これからあらたな時代を作るためにあちらに生まれ出る人を生む役を担った方々なのです。それが、新たな時代を作るための第一陣として出て行くのです。次に新たな時代をその手で作ろうとする者たちが生まれていきます。大抵は、男の方が多いのですが、その妻になる方々もいます。

 

 

 

 

 

 新たなことが起きるときは必ず多くの人々が苦しむことになります。少しでもその痛みを和らげるような調和的な役割を担うために私は出て行こうと思うのです。このままでは、大和の国であっても大きな戦が起きるのを止めることはできません。私は少しでもその痛みを和らげ、傷を癒すために出て行くつもりです。」

 ヒメはこれから新しい時代が始まるという、強い意志を感じた。

「私が貴方のところに参りましたのは、私とともに向うの世界へ行って欲しいと思ったからです。」

「私も、ですか?」

 

 

 

 

 これにはヒメも即答はしかねた。向うの世界がかつての世界とどれほど違っているか、それを考えるとそう簡単に返事はできない。

「少し、時間をいただけないでしょうか。向うの世界については、最近のことはほとんど知りませんし…。」

「そうですね、私もそうおっしゃるだろうと思っていました。また、その返事を聞きに参りましょう。」

「いいえ、気持ちが決まりましたら、私のほうからお伺いいたします。」

 

 

 

 

 

 その行列は静々と道を帰っていった。それを見送りながら、ヒメは不思議なことにいつのまにか今回の出生についての決心をしていた。私も何かしたい、その思いが体の中からこみ上げてくる。

 考えてみれば、これまでだっていつも平和な時代に生まれていたわけではない。ヒメの生まれるのは世の中が騒がしくなって、それを修める役を担ってのことが多い。もちろん剣を振るうのではないけれど、その小さな体でいつも世の平穏を祈って役割をなしてきた。

 

 

 

 

 ただ、これからの時代はそんな今までの時代とはまた違っていた。その騒がしさが桁違いなのである。世は剣を振るう時代ではなく、銃を撃つ時代になっている。その危うさはどれほどであろうか。もちろんヒメは銃を撃つようなことはないけれども、今までにないかなり危ない時代であることは確かである。